レモンの月の下で

*『恋は思いがけず』本編と掌編のあと




 今日くらいはパパとママの愛にごめんなさいして、その窓から飛び出してごらんよ。ロミオとジュリエットみたいに。

 窓から夜空を見上げたらレモンのかたちの月が浮かんでいて、琥太郎はにんまりとした。
 夜中に部屋をこっそり抜け出して恋人に会いにいく――月がそれを優しく見守ってくれているような気がしたのだ。
「琥太郎さん、こんな時間に窓など開けて何をなさってるんですか?」
「えっ?」
 窓枠に右足を引っかけたまま振り向けば、家政婦の民子さんが半眼で部屋のドアのところに立っている。琥太郎は顔を引き攣らせて「いえ、これは、あの、その」としどろもどろになりながら足を下ろし、民子さんのほうに向き直った。
「ノックもせず失礼いたしました。急にこのお部屋からガタガタと音がして……もしや泥棒かと」
 年が明けて間もない一月一日、もうすぐ二十三時になろうかという時間だ。
「窓の外……下に何か?」
「いっ、いえ、何も、何もないです。何も」
 眉間に縦じわの民子さんが窓のほうにやって来たので、不必要に繰り返してしまう。
 民子さんはジャガードの分厚いカーテンをシャッと開けて二階から下を覗き「このあたりで最近、不審者が出たと警察の方から情報が入っております」ときょろきょろと見渡している。
 何もない、誰もいないのを確認して満足したのか、窓を施錠し、そして隙間なくカーテンを閉じた。
「……なぁんて……」
 そう言ってカーテンの合わせを握ったままゆっくり振り向く民子さん、怖いです。
「本当は分かっておりますよ、琥太郎さん」
「ええっ、何がっ?」
「……三都井宗佑様がいらっしゃってるんですよね」
「まだ来てません!」
 まだ、とばか正直に答えてしまう琥太郎だ。
 はっ、としたときには民子さんが俯いて口元だけでうっすら笑っていた。しかし民子さんは一瞬にしてその笑みを引っ込め、きりりとした顔つきになって首を横に振った。
「逢い引きでしたら、ちゃんと玄関から、出て行ってください」
 そんなー!
「玄関から出たら、家を抜け出したことにならないです。それじゃ逢い引きにならないです……」
 ロミオとジュリエットみたいな逢瀬に憧れる琥太郎である。
 リビダニアで幼い頃の娯楽といえば日本みたいにテレビアニメや漫画、ゲームじゃなく、海外のイソップ・シャルル・グリム・アンデルセンなどの童話、少し成長するとシェイクスピアだった。すり込まれた情報がそれに準ずるのは致し方ない。
「二階の窓から出るなんて……足を滑らせて落ちたりしたらどうなさるおつもりですか。旦那様と奥様を余計なことで心配させてはいけません。もし旦那様と奥様が琥太郎さんの不在に気付かれた場合『この時間でないとできないデートです』とわたくしからご説明申し上げますが、万が一にも怪我をしたとなると庇いようがありません」
 民子さんはデートの相手が宗佑だということを知っていて、それを両親に黙っていてくれている。それに民子さんの言うとおり出かける際に怪我でもしたら、黙認した民子さんにも迷惑がかかってしまう。
 恋に浮かれて目先の楽しいことばかり求めてしまっていた。
「……ごめんなさい……」
「いえ、怒ってませんから。今夜は寒いですよ。ちゃんと防寒して、お風邪など召されませんように」
 民子さんはかけてあったカシミアのマフラーを手に取って、琥太郎の首にささっと巻いてくれる。
「ありがとう民子さん」
「ロミジュリごっこは心の中で……あ、そうだ。いいことを思いつきました」
「いいこと?」
 民子さんはこくりと頷き、「ついていらしてください」と踵を返した。

「えっ、ここ? ここから?」
「ロミジュリごっこは、親の目を盗んでこっそり抜け出す、のが醍醐味でございます。それならばぜひ、ここから」
 さあどうぞ! と一階の両親の寝室の隣、庭に繋がるリビングの窓を開け放つ民子さん。
「で、でも隣、本当にお母様が寝て……ないし起きてるし、うわ、お父様もいます、ぜったいに起きてます、電気ついてます!」
「そこを抜け出すのがスリルなんでございます」
 何これ罰ゲーム?
「た、民子さんっ……」
「見つからないように、静かに。出て、すぐ左へ走れば通用口です。わたくしがさきほど鍵を開けておきましたので。わたくしは明朝六時半にこちらへまいります。そのときに一緒に入れば旦那様と奥様はお気づきになりませんから」
 民子さんのそのやる気はいったいどこから来るんですか。今更「もう玄関から普通に出ます」と言いづらい琥太郎だった。
「さ、早く」
 民子さんに背中を押され、しんと静かな夜の闇に足先を忍ばせる。
 いってきます、と口パクで挨拶すると、民子さんは満足げに微笑んだ。
 男の恋人に夜中に会いに行くのを理解して応援してくれる人がいるなんて、本当は奇跡みたいなことだ。
 琥太郎はもう一度振り返って、民子さんに手を振った。
 ありがとう――これも口パクだったけれど、民子さんには通じたようで、珍しくにっこり笑ってくれたのが嬉しいと思う琥太郎だった。

 パパとママの愛にごめんなさいして、夜中に部屋をこっそり抜け出して恋人に会いに行く。ロミオとジュリエットみたいに。
 見上げればレモンの月。
 神様、幸せをありがとうございます――と琥太郎は手を組み合わせて短く祈りを捧げた。

 バイクで迎えに来てもらってタンデムシートで宗佑のマンションへ連れ去られるたびに、大恋愛をしている気分がたいそう盛り上がる。
 あけましておめでとう、はメールもしたし、電話もしたけれど、やっぱり一月一日のうちに最愛の人に会いたくて会いたくてたまらなくなったのだ。
 新しい年が始まった日に、世界でいちばん大好きな人と会いたい。
「あけおめことよろ」
「ど、どこに向かって言ってるんですか」
「琥太郎のちんこ」
 部屋について直行したベッドの上。広げた脚の間で宗佑がにっこり笑う。
 一瞬「うっ」と怯んだが、ここはノッて声色を変え「あけおめことよろ」と答えてみた。
 宗佑は「目玉のおやじ声、なぜ」と楽しそうに笑っているけれど、琥太郎はその「目玉のおやじ」が分からない。しかも高めの声色だったにもかかわらず「おやじ」とはどういうことだろう、とぐるぐるしているうちに、くったりリラックスしているペニスをぱくっと咥えられた。
「う、わ……ん」
「お餅みたい」
 楽しげにそう表現する宗佑の口の中でつきたて餅よろしく弄ばれ、最初はくにくにと軟らかだったものがぐんぐん反応してきて……。
「んっ……ふ」
「俺の口の中で大きくなんのが、なんか嬉しい、かわいい」
 それは分かる。同性の性器がかわいく思えるなんておかしいかもしれないけれど、従順な反応をするところなんかとくに。だからその同じ気持ちを共有したくなる。
「宗佑……僕も……」
「琥太郎の、もうちょっと気持ちよくしてから」
 上下を繰り返す宗佑に強めに吸い上げられ、琥太郎はぐっと腰を浮かせて仰け反った。
「あっ、あ」
 つま先まで快感に痺れる。くらくらするほどいっきに高みへ昇って、フットランプだけが灯る部屋に荒い呼吸を響かせた。
「んっ……んぅ……はぁっ、あっ」
 このままではイッてしまう、と思うほど気持ちよくて、琥太郎は宗佑の髪をゆるく掴んだ。そちらを覗くと、宗佑が深くまで咥えたまま目線を上げるのが刺激的だ。
 琥太郎は首を振った。
「だめ、出ちゃう」
 先っぽの蜜を啜ってから解放されて、宗佑と位置を入れ替わる。
 やわやわのゼロから育てるのがいいなと思ってたのに、宗佑のはすでにヒナでもサナギでもなく完全なるオトナへと成長を遂げていた。
「……もう大きくなってる……」
「琥太郎の舐めてたら口ん中が気持ちよくて」
 それも分かる。舐めたりしゃぶったり、上顎や頬の内側に愛しい人の性器を擦りつけているだけで性的興奮と性感を得て、自分まで高まってくるのだ。
 一緒に気持ちよくなったってことなんだ――と思うとさっきまであった残念さがあっさり消えた。
 好きな人の身体の一部だと思うと、口に入れることになんのためらいもない。唇にキスしているときの気分と同じだなぁと気付いて懸命に舌を使っていたら、いくらもしないうちに「ストップ」ととめられた。
 まだ濡らす程度だったのに取り上げられて、「え」と声を上げる間もなく組み敷かれる。
「そんなされたら、早く挿れたくなる」
 脚を持ち上げられ、指を突き入れられた。一瞬の緊張、と直後の弛緩。
 本来の機能とは逆の行為を強いて挿入された異物なのに身体がすぐに受け入れるのは、それが宗佑の指だと知っているからだ。
 中を探る動きで、一刻も早くとかそうという意図を感じる。
 キスしてほしい、と思ったら、そう言わなくても宗佑が伸び上がってきて、唇を塞がれた。口内を舌でまさぐるのと同じように、後孔も優しく抉られる。
 宗佑の指を食べるみたいに内襞が卑猥に動きだすのを感じながら、キスのその喉の奥で声が漏れてしまう。苦しい。気持ちいい。
 唇をほどくと、途端に荒い呼吸と甘えた声がこぼれた。
「気持ちいい?」
 うん、うん、と頷いて、顎を引き、下腹部に溜まる快感に集中する。
 上昇していく快楽に呼応するように自分のペニスがぴくぴくと跳ねた。どこなのか分からないけれど、いつもよりずいぶん奥を指で擦り上げられている気がする。
 とても深いところから湧き上がってくる快感に、身体が自然と弓なりになった。
「あぁ……あっ、あ……」
「ここ……気持ちよさそう」
 宗佑が指摘するところを中に埋めた指三本でゆるゆると揉み込まれたら、つま先まで強張るほど快感が波及する。
「そ……すけ、そこっ……すご……あ、あっ」
「こんな奥も感じるんだ……」
 不思議そうに呟く宗佑の言葉に、かあっと頬が熱を帯びる。いつの間にかいやらしい身体になってた、と言われたみたいですごく恥ずかしい。
「や、だ……や……」
「こんなとこまで鳥肌立てて」
 鎖骨の辺りから首筋も身体の奥から湧き上がる快感でぞくぞくとしてしまうのだ。
「もう挿れる」
 気持ちいいところを擦ってくれていた指が離れて、急激に飢渇感でいっぱいになった。早く埋めてほしくて、宗佑が挿れやすいように腰を浮かせる。
「あぁっ、あー……」
 琥太郎の身体を気遣っているのが伝わる優しい挿入がよすぎて、奥歯を噛んだ。
 さっき感じすぎてイッてしまうと思うほどよかった場所に雁首が嵌まり、そこをぐぐっと突かれる。
「――っ……!」
 背筋を駆け抜ける快感。宗佑にしがみついて耐える間、深くまで犯すものを内襞が悦びもあらわにきゅうきゅうと締め付けるのが分かった。
「こ、たろうっ」
 宗佑が耳元で荒い呼吸の中で名前を呼ぶ。耳朶を嬲られ、「中……すごい」と上擦った声を吹き込まれた。
「そ、すけ……僕と、するの、気持ちいい?」
「気持ちいい、すごく」
 そのまま奥を掻き回されてあえぎ声がとまらなくなる。
「ああ、あ、あっ、あ……あ、あ、ん、ああっ、あっん、ん、んっ」
 口をキスで塞がれても、甘ったるい声が鼻腔を抜ける。
「そ、宗佑、だめ……も、イッちゃう」
 指でされているときに溜まっていた快感に上乗せされて、すぐに限界が来た。
「イッて」
 身体を大きく反らして、奥に嵌まったまま擦り上げられる。大きな波に呑まれた直後に激しく絶頂し、勢いよく白濁をしぶかせていた。
 震えるほどの悦楽に頭までどっぷり沈んで、すぐに浮上できない。
「琥太郎、だいじょぶ?」
 優しい問いかけにうっすら目を開けた。涙で滲んで、宗佑の表情がよく見えない。
「す、ごかった……今の……」
 まだ余波で身体が昂っている。
「つらい? 抜こうか?」
 それはやだ、と宗佑の腕を引きとめた。
「このままでいて」
 つらいのはきっと宗佑のほうだ。
 宗佑に両手両脚を巻き付けて、ひしっと抱きしめた。
「琥太郎」
「動いて、宗佑も僕の身体でもっと気持ちよくなって」
 琥太郎のほうからぎこちなく腰を押しつける。すると中でぐんっと、宗佑が硬くなるのが分かった。
「そ、宗佑」
「……っ」
 逞しいものが入り口から奥まで大きく抽挿を始めて、視界がぶれるほど揺さ振られる。
「そう、すけっ、ああっ……!」
 両腕を引っ張られひとしきり最奥を攻められる。それから繋がったまま抱き起こされ、対面で宗佑の太ももの上に座らされた。
 抱き合ってキスをして、互いにゆるゆると腰を揺らし合う。
「あっ、あ……気持ちいい、宗佑……そーすけ」
「俺も。抱っこで密着できて、これ好き。琥太郎が甘えてくる率上がるし」
 なんだか不思議と、抱っこされているという意識のせいなのか甘えたくなるのだ。
「んー、……や」
 乳首を吸われペニスを手淫されながら腰を使われて、また快感に脳が痺れて訳が分からなくなってくる。
「宗佑、宗佑、だめ、また……」
「気持ちいい? イきそう?」
「僕、ばっかりっ……」
「俺もイイよ。も……イきそうだもん」
「イッて、宗佑も」
 宗佑の頭を抱きしめて腰を振りたくる。宗佑が息を荒くして背中を抱き返してくる。琥太郎の肩の辺りで小さく喘いだりして、宗佑の髪にキスをすると「んん」とむずかるような声を漏らすのがなんだかすごくかわいい。
「宗佑、好き、好き」
「俺も、好きだよ」
 自分から煽ったはずなのにいつの間にか逆転して下からの突き上げが激しく、目を開けていられない。
「あっ、ん、また、イく、イくからっ……宗佑っ」
 最後はベッドに押し倒されて、宗佑にされるがまま嵐みたいな律動を受けとめる。
 身体の奥で起こった甘く痺れる破裂に誘発されて、琥太郎も再び前を弾けさせていた。
 長距離走のあとみたいに心臓がばくばくと乱れている。呼吸を整え、軽くキスを交わして宗佑が繋がりをとこうと身体を起こした。
 ずるる、とまだ硬さのあるペニスが後退していく。縋るみたいに内壁が宗佑に纏わり付いてしまうのを、唇を引き結んで耐えた。
 離れたらすぐに寂しくなって、寝転んだ宗佑の胸元に顔を寄せる。
「琥太郎んちって、お正月はおせち料理食べるの?」
「家政婦さんがお雑煮を作ってくださって、あとはお取り寄せしたものとか、イタリアンのオードブルと日本料理店のおせちを食べました」
「和洋折衷だな。うちは女子がいないのもあってすごい適当だよ。おせちっていうかお酒のつまみ盛り合わせがどーんってあって、……あ、年越しそばっていつ食べる? うちはぜったい十二月三十一日の夜中、まさに年越しってときに食べる。飲みのシメ、みたいなかんじで」
「年越しそばは三十一日のお昼に食べました」
 それからリビダニアでの一月一日の話をした。三十一日の夜にリビダバビダ教の信者が神殿に集い、新しい年を迎える瞬間を歌で祝うのだ。
「どんな歌?」
 リクエストされたら応えるしかない。琥太郎は「えへん」と喉を整えて歌い出しの息を吸った。
「リビダ〜バビダ〜、リビダバビダ、ミヒャニースーゥゥゥ〜、アロワ〜、ズィモウ〜♪」
 いきなりリビダバビダで始まる歌に、宗佑が笑いを堪えているのは分かる。
 でもくり返しのところで、宗佑も「リビダ〜バビダ〜、リビダバビダ」と覚えたフレーズを一緒に歌ってくれた。
 ふたりで笑い合って、キスを交わす。何度も。
「その歌詞はどんな意味?」
「リビダバビダ、リビダバビダの神よ、あなたとともにここに集う民に、新しく始まる一年もあたたかく優しく等しいご加護を与えたまえ……というかんじです」
「あたたかく優しく等しい……ふぅん……じゃあ俺はだいぶいっぱい幸せ貰っちゃってる気がするなぁ」
 ぎゅっと抱きしめられて、琥太郎も「僕もです」と宗佑の身体を抱き返した。
「だから、困ってる人や悩んでる人を見つけたら、僕、お手伝いします。今ある幸せを少しもなくさないためにも、貰いすぎた幸福はそうやって返すのだと教えられました」
「琥太郎みたいな人がいっぱいいたらみんな幸せになれるな」
「愛は地球も人も救うと、リビダバビダの民はみな信じてます」
 決して特別な考えじゃないのだと微笑む琥太郎に、宗佑が愛おしいというように微笑んで、キスをくれた。
「琥太郎マジかわいい。大好き」
「僕も、宗佑マジかわいいです。大好きです」
 琥太郎の口調だと、マジ、がそぐわない。たまらず笑いがこぼれた宗佑からぎゅっと抱きしめられた。
 宗佑の腕の中で、リビダバビダの歌を口ずさむ。
 新しい年の始まりに幸せに浸りながら歌う声は、ふたりの部屋に優しく響いていた。