桃色ショコラティエ

*『糖酔バニラホリック』その後




 すっかり忘れてた。このブログの存在を。
 思い出したきっかけは「梓真ってブログとかTwitterとかFacebookとかやってないの?」と建斗から訊かれたからだった。
 原型師としてのブログはごくごくたまにアップしている。フリーランスゆえに営業活動のひとつとして必要に迫られ……なのでブログ記事は亀更新。記事の最後が一、二カ月前の日付、なんてザラだ。
 自分のことはさておき。
 建斗とすったもんだのあとに恋人関係になって幸せボケも重なっていたから、このブログを見つけたときのショックが遙か彼方に吹っ飛んでいた。
 今もまだあのブログあるのかな、と確認したい気持ちで検索したら出てきたのだ。
『桃色ショコラティエの桃色LOVE日記(管理人・桃ハル)』が。
 しかしあらためて見ると、もの凄いブログタイトルである。
「……ん?」
 梓真はパソコン画面に向かって顔を険しく歪め、「わぁっ」と小さく悲鳴を上げた。
 ブログに恐ろしい記事タイトルを発見。
『【速報!】ラギさんとAZUさんがついに結ばれました!』
「む、結ばっ……」
 結ばれるって何! えっちしましたってこと?
 ひ――――っと全身わななきながら、震える指でタイトルをクリックする。
『前の記事でも書いたラギさんとAZUさんがついに恋人同士になりました! おめでとうございます! ヨリヨリさんが『ラギにプレゼントを持ってく』というので、一緒にドラッグストアに買い物に行き、ラギさんの部屋のドアノブにソレが入った袋を引っかけておきました。中身が何かはヒミツです。』
「この書き方じゃぜんぜんヒミツになってないし……!」
 梓真は失神寸前でブラウザを閉じた。
 走ってもいないのに動悸し、息が上がる。
「い、一緒に買いに行ったんだ……いやいや、そこが問題じゃなく」
 それ使いましたよ。使いましたけど……!
 なぜこんな世間的にどうでもいい一般人の初セックスの日付を、ワールドワイドに知られなきゃならないのか意味が分からない。
「こんなの誰得なんですか」
 梓真は目尻に涙を滲ませ、時間を確認して――二十時、今しかないと立ち上がった。


『チェリーレッド』も『リリアン』も二十時にクローズする。片付けやら何やらあるはずだから、その時間なら間違いなくそれぞれ自分の店にいるはずだ。
 探偵よろしく『チェリーレッド』の店内の様子をこそっと窓から覗き、頼朋と建斗の姿を確認してから『リリアン』に向かった。
 チョコレートブラウンのシックな外観に白い内装――『リリアン』の店内に足を踏み入れるのは初めて。
「あのぅ……」
 レジの前にいた外国人風の、目力のある男性が顔を上げる。
 ――うわぁ、中の店員さんもイケメン! 店員さんっていうか、この人もショコラティエ?
 コックコートを着ているから、たぶんそう。
「申し訳ございません。本日の営業は終了しております」
「あの、由利高晴さん、は……」
 彼はぱちぱちと目を瞬かせて「失礼ですが、お名前をお伺いしても……」とこちらに出てきた。スレンダーで腰の位置が高くて蜂蜜色の髪はふわふわだ。
 ――うわわわ、どうしようっ。この人もオシャレオーラ半端ない!
「つ、筒路梓真と申しますっ! 決して怪しいものではございませんっ!」
 あばばばば……言い方が怪しい人になってしまった! 助けて誰か!
 彼に「何この人……」という目で見られている。リアルの世界はこれだからいやなのだ。
「タカハル? お知り合い?」
「ははははい。お知り合い、です。ゆっていただければ、分かります」
 すると彼はじっと梓真を窺い、「こちらで少々お待ちください。呼んできますから」と中に招き入れてくれた。
 ひとりになってほっとする。梓真はふらふらと中に入った。
 店内に漂うチョコレートの香りに誘われてショーケースを覗き込むと、宝石みたいにキラキラと艶めくチョコが綺麗に並べてある。梓真もいただいて食べたことがあるけれど本当においしくて、「これが世界一のショコラティエが作ったものなんだ!」と感動し、納得できる素晴らしさだった。
「……おいしそう……」
 ――せっかく店内に入ったのだし、買えたらよかったのにな。
 うっかり何しにきたか忘れている梓真だ。
「梓真くん。どうしたんですか?」
 出た――! 桃ハルさん!
「もっ……じゃない、高晴さん、あの、お忙しいところすみません。どうしても、ちょっとお願いしたいことが」
「お願い?」
「は、あ、あの……」
 高晴の背後にさっきの店員さん。
 梓真が言葉に詰まったのを察して、「ミッシェル、今日はもう上がって」と高晴が気をきかせてくれた。
 ミッシェルと呼ばれた彼にちらちら見られている。
 ほどなくして彼がいなくなり、店内にふたりきりになった。心臓が大きくばくばくと鳴っている。
「桃……」
「桃?」
「桃色ショコラティエの、あの桃色ブログの……」
 高晴の表情をちらりと確認し、漆黒の眸に吸い込まれそうなのが怖くて目線はすぐに逸らした。
「僕と建斗さんが、あ、あれした日の記事だけでいいので消してくださいっ……!」
 そこはすべて削除しろと言っていいところだ、と全世界から突っ込まれそうだけど、じつに謙虚な梓真だ。
 しん……となったので、梓真はおそるおそる目線を上げた。
 動揺くらいするかと思ったが、高晴は顔色ひとつ変えない。
「……どうしてそのブログを……」
「あ、ごめんなさいっ、たまたま見つけてしまって。あれ、桃ハルさんって高晴さんですよね?」
 一度目が合ったらまるで射貫かれたように動けなくなった。硬直している梓真を、高晴はじいいいいいいっと凝視してくる。目で抹殺されそうだ。
「梓真くん……僕のチョコレート、お好きだと言ってくださいましたよね」
「は? え、はい、……とてもおいしくて、さすが世界一だなって……。いや、そういう話じゃなくて、僕はあのブログの『ついに結ばれました』って記事を消してほしいと」
「…………」
 無言で上から見下ろされる威圧感が半端ない。
 すると高晴がくるりと踵を返した。
 ――えっ? 怒った? 怒った? 記事消してって言ったから? 人のブログなのに僕が立ち入りすぎ?
 涙目になる梓真をそこに残したまま高晴はなぜかショーケースの中のチョコレートを箱詰めしている。
 ――何? 何してんのこの人っ? なんでこの流れで店の商品の準備始めてんの?
「あ……あの……僕があのブログを見たことは誰にも言いませんから、だから、あの記事のところだけでいいんです。駄目……ですか?」
 ――怖いよー怖いよー会話にならないよー。
 もはや半泣きの梓真の前に、再び高晴が戻ってきた。
「梓真くん」
「は、はい……」
「これ」
 袋を手渡されて「?」となりつつも受け取り、上から覗くとさっき高晴がチョコレートを詰めていた箱が入っている。
「え? これ?」
「頼朋さんにだけは、頼朋さんにだけは、頼朋さんにだけは、どうかご内密に」
「…………」
 保身のための賄賂を渡されてしまった。
「だからそれはもちろん……僕もおふたりには仲良くしててほしいですし」
 ――じゃないと、この人たぶん蹴り殺される。
 それにふたりにケンカなどしてほしくないというのは本心だ。
「柊木さんにバレると2秒で頼朋さんにもバレるので、ぜひ……」
「もももももちろんです。高晴さんの桃色ブログのことは誰にも言いませんから」
「0コンマ5秒でバレてっぞコラ。なんだその桃色ブログって」
 声がしたほうに高晴とともにそーっと振り向くと、店の入り口に頼朋と建斗が立っていた。


「ミッシェルが密告に来たんだよ。謎の少年がお前を訊ねて来てるって。三茶商店街のネットワーク舐めんな」
 眉間に縦じわが二百本くらい入っている頼朋の隣で、建斗は「高晴、狭い地域で包囲されてる……」と半笑いだ。
 四人はチェリーレッドの店内に場所を移し、四人掛けのテーブルに向かい合って座っている。高晴のとなりが梓真、そして頼朋と建斗が並び、なんだか被告人と裁判官的な位置関係だ。
「俺はなぁ、うちの店で写メってるやつの9割はブログかTwitterか、その辺のことやってるって思ってんだからな。だからつねに、服装に気を使って髪と顔を整え……って話じゃなく。ここで出される料理はもちろん俺をこっそり隠し撮りしてるお前もぜったいブログやってんだろうなと踏んでた」
「ハメ撮りとかアップしてたらどうする?」
 建斗からの問いかけに「フロント部分にISEXってロゴ入れたボウズ頭にしてやる」と頼朋は妙にリアルな刑を言い放った。殺す、と口先で言われるより現実的で死にたくなる罰だ。
「ぷわ〜、ハメ撮りしてることは否定されなかったわー」
 頼朋の返しに建斗は苦笑し、梓真はどきどきしながら頼朋と高晴を交互に見た。
「ハメ撮りはアップしてません」
「……まぁ、そうだろうな」
「高晴はヨリを本当に困らせるようなことはしないところがエライよな」
「お前の『エライ』の基準おかしいだろ」
 ――建斗さん。ふたりが最悪の険悪な状態にならないようにと気遣って……。頼朋さんと高晴さんのお目付役なんだって言ってたの本当だなぁ……。
 こちらはこちらで建斗を純粋に崇拝する梓真である。
「そのいかがわしいブログ見せてみろ」
「……いやです」
「見・せ・ろ」
「いやです」
 仲を取り持ったのも虚しく、頼朋と高晴が言い合いを始めてしまった。
「出た。お前なぁ、俺に従順そうに見せかけてそういうとこ絶対に引かないよな」
「名前も店のことも、写真だっていっさい載せてません」
「写真、載せてないだと?」
「昨今は徒党を組んでいろんな手段でもって個人情報を特定する輩がいますから」
 いや、それドヤ顔で言うところじゃないと思います高晴さん。
「実際、梓真くんに特定されてんじゃねーか」
 ごもっとも。
「あ、ぼ、僕はほんとにたまたま! たまたま見つけただけで。ここにいる四人の事情を知ってるから気づいただけで。他の方がご覧になってもぜんぜん分からないと思います!」
 なんとなくこのままじゃ火の粉が飛んでくる気がして、思わず高晴を助けてしまう。
「たまたま? たまたま見つけるようなもんか?」
 ――どうしよう。このままじゃ僕が男同士のえっちに興味を持ってゲイブログを漁っていたこと云々まで話さなきゃならなくなる!
「た、高晴さん、ブログは今すぐ消したほうがいいです−!」
 必死の梓真の説得になど、高晴が応じるはずがない。
「読者が1400人もいるんです!」
「なんの期待に応えようとしてんだお前は」
「……僕の……思い出が……」
 そういえばいつから書いてるブログなんだろ? と疑問に思ったら、それをそのまま建斗が訊いてくれた。
「……フランスにいたころからです。遠く離れてもあなたのものを取り寄せては蒐集し、それをブログに書いていましたから。あ、その都度、物品の写真を撮って日付ごとにファイリング、クラウドにアップロードはしてますが、ブログには載せてません。その頃からの、僕の大切なあなたに対する日々の想い、あなたへの情熱、……それを楽しみにしてくださっている愛読者が」
「でも梓真くんの話を聞くに、梓真くんと建斗のことも書いたんだろ」
「それは……嬉しかったので、つい」
 ――高晴さんも嬉しかったんだ? 友だちだから?
「頼朋さんの大切な友だちが、イケメンなのにぼっちはかわいそうだなと思ってたので」
「かわいそ言うな」
 建斗が半眼で噛みつくのも分かる言い草だ。
「お前の『嬉しい』の基準まで、なんでもかんでも俺かよ」
 はぁ、と頼朋が「しょうがないなぁ」的なため息をついたので、今のでほだされてる?! と驚いた。
「じゃあ……!」
「消・し・な・さ・いッ!」
 キッ!! と睨み付けられて、ついに高晴がしゅんと肩を落としている。優しく言っているうちにいうことききなさい、と叱られてる人みたいだ。
「どうしても残したいなら、俺とお前の記事だけにしろ」
 続いていた頼朋の言葉に高晴が「え?」と顔を上げた。高晴だけじゃなく、全員が頼朋に、正気? と注目する。
「お前、ばっかじゃねーの?」
 呆れている建斗の隣で、頼朋は腕を組んで口をむすりとさせている。
 それから頼朋が高晴を見据えたものの、その口元には笑みが浮かんでいるように見えた。
「狂犬は野に放ってはならない。被害がこれ以上広がらないようにするための措置だ。なんかの写真をアップしてるならマジで裸にひん剥いて三茶商店街を一周させてやろーかと思ってたけど。こいつはバカじゃないからそういうことはしないだろ」
「……さすがヨリ……」
 頼朋の英断に、高晴がぱあああと表情を明るくした。しっぽをぱたぱた振りたくる犬よろしく、身をのりだしている。
「いいんですか? 僕とあなたの思い出を、消さなくてもいいんですか?」
「勝手に書いといて『僕とあなたの物語』みたいに言うな」
 ――頼朋さんの統制力すごい。
 梓真は終始、ぽかんとした顔で見守ることしかできなかった。
「お前がブログ書いてんだろうなーっていうのは大方見当が付くことなんだよ。実物見て確認したくないから、追及しなかっただけで」
「分かりました。僕とあなたの思い出以外は今すぐ消します。まぁ、そんなの数件しかないんですけど」
 高晴はさっそくスマホを取り出して、何やらチャチャチャと操作しはじめた。
「俺と梓真の思い出は『そんなの』って扱いかよ」
「削除が終わったら建斗と梓真くんにちゃんと謝れよ。ほんとごめんな、梓真くん。追及せずに放置してた俺も悪いし」
「いっ、いいえ! 頼朋さん謝らないでくださいっ」
 頼朋と建斗にわーわー言われながら、無事に桃色ブログの該当記事は削除されたのだった。

 ※高晴から渡された賄賂のチョコレートは、梓真がひとりでおいしくいただきました。