十五夜の恋

*電子書籍版『宵越しの恋』の【特典イラスト】をイメージして書き下ろしたSSです
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さらさらと秋風に揺れる葉音と、鈴を鳴らすような鈴虫の羽音が耳に心地いい。
瞑っていた瞼を上げれば、雲に溶けかけた満月が濃紺色の夜空にぼんやり浮かんでいる。
十五夜の月を観賞する風習にならい、深尋と准平は『糀谷』の裏手にある茶寮でお月見をしようと今朝から約束していた。
和菓子職人の修業の一環として、いつもはこの茶室で、深尋は准平から茶道のお稽古をつけてもらっている。そのときは当然、畳に正座を余儀なくされるけれど、今夜は縁側でリラックス。
「雲がちょっと多いかなぁ。せっかくのお月見なのにな」
板張りの縁側で月を見上げたまま深尋がぼやくと、「そうだね」と短い相槌が返ってきた。准平は背後の茶室で、お月見用にお茶を点てているところだ。
「今朝まで俺、十五夜しか知らなかった」
「あぁ……十三夜はお月見団子を販売しない和菓子屋も多いな。本当は十五夜と十三夜の両方の月を観賞するものなんだけど」
「十三夜の頃はちょっと寒そうだしな」
旧暦の8月15日、つまり9月の中旬が『十五夜、中秋の名月』。そして10月の中旬あたりが『十三夜、(のち)の月』。
「江戸時代の遊女は片方の月見しかしない客は『片月見で縁起が悪い』と言ったそうだ」
「なんで?」
「十五夜も十三夜も、お客に通ってほしいからさ。だから上客は十五夜に呼ばれる」
「十三夜にも来てもらうためっ?」
「そう」
「なんとえげつない……」
嘆く深尋に、准平が笑っている。それからお茶を盆にのせ、深尋がいる縁側へ准平が出てきた。
「しかもうさぎちゃんが餅つきしてるかわいいイメージが崩壊して、頭の中がエロい春画になった。どうしてくれる。あああああー」
深尋はノートで顔を覆った。雲隠れする月、ススキにとまる鈴虫などなど……和菓子で表現できたらとイメージする絵を描き込むための、いわばネタ帳だ。
かつては罫線の入ったタイプに『記憶喪失のふり日記』を書いていたけれど、今は絵を描くために真っ白のノートを使っている。
定番の和菓子はもちろん、運動会をモチーフにしたものや、ハロウィンをイメージしたものもきっとかわいい――なんて考えながら白いページを彩っていく。
准平が深尋の左からそのノートを覗き込んだ。
「どんなの描いたんだ。……ん、春画じゃない」
「ばか。月を見上げるうさぎとか、色づいたもみじとか、柿とかですー」
「秋の上生菓子ね」
いつか、准平のお茶事で出してもらえるような上生菓子を作る職人になりたい――まだちょっと先だろうけど、それを思い描いてこうして記すことで、日々自らを発奮している。
具体的に、ここは濃朽葉(こいくちば)色にしたいとか、求肥(ぎゅうひ)で包みたいとか、色粉や素材も書き込んで。
こうして日々の小さな一歩を記し、色とりどりの夢を描きながら進む。そして准平がいるところに早く追いつきたい。
「あ、俺が描いたうさぎがそのままだ……」
准平が指したのは、『和菓子で表現するうさぎ』について話したときに、准平画伯が描き込んだ『世にも恐ろしいうさぎちゃん』の絵だ。いや、准平的には『世にも恐ろしい』とは思っていないわけだけど。
准平画伯が描くうさぎは、小学生の悠真が「……ダックスフント?」と訊いたレベルである。しかも、うさぎを横から見た絵なのに、目がふたつ描かれているから「どうなってんだ!」と深尋もわなないた。しかも、うさぎの脚がない。ふたつの赤い目だけが異様に主張してくる。とにかく怖い。
「消しても消しても翌朝またここに描かれていそうだから、怖くて消せない」
「ひどいなぁ」
なんて言いながら鷹揚に笑っている准平は、深尋や悠真が「さすが画伯……」と呆れたり「怖すぎる!」と震えるのを見て楽しんでいる節がある。
『准平画伯のうさぎちゃん』のことはひとまず忘れよう。
准平はそのとなりのページを覗き込んだ。
「運動会、読書、ハロウィンの上生菓子? おばけとかはこどもが好きそう。本来は和菓子にないモチーフもおもしろいな」
「でも『糀谷』は老舗の和菓子屋だし、あんまりにも奇をてらいすぎってのは、古き良き伝統を冒涜するみたいで駄目かなーとか思うんだよなぁ……」
「深尋は、うちで終わる気なんだ?」
「……はい?」
准平は縁側の板張りから足を下ろして腰掛けると、深尋に向かってにやりと笑っている。
まさか世界にはばたけとか、壮大な夢を語るつもりなのだろうか?
「あ、『糀谷』ではいつまでもお前を雇ってやる気ないぞ的な? ここはあくまでも修業先でしょ的な? 俺もうリストラ勧告されてんの?」
「だれの指図も受けず、本当に自由に和菓子を作りたいなら、自分の店を持つのを最終目標にすべきなんじゃないかなって」
穏やかだけど、准平の眸は真剣だ。
「えー……なんか……そんなの考えたこともなかった」
まだ日々のことで精いっぱいという部分は大きいけれど、言われてみれば、いずれは考えなきゃならない未来なのかもしれない。
「でもそんな近未来なこと考えきれないし、……な、なんかいらない子みたいで寂しいんですけど」
「深尋がいつまでも『糀谷』の中で燻ってるつもりだったとは。スペインまで行ったわりに、ちっちゃい男だな」
「やだ、やめてー、そんなこと言うの」
がりがりと准平の長着の袖を引っ掻くと、准平が深尋に身を寄せた。
「ちゃんと深尋が、毎日俺のところに帰ってきてくれるなら、行けるとこまで行けばいい」
「と、都内近郊なわけね」
「勉強のためなら仕方ないけど、京都に永久就職とかは遠いからだめ。京都の和菓子を勉強したいなら、都内で店を出してる京都の職人を紹介する」
人脈の力技でどうにか解決……するつもりらしい。
「自由を掴め的なこと言っといて制限付きってどゆことさ?」
「いっときも会えないなんて、むり。好きすぎて……離れるとかは、むり。俺の許容範囲がこっからここまでとしたら、今のでめいっぱい」
腕で大きな丸をつくって『俺の許容範囲』を表現する准平に、ぶっ、と噴き出した。准平は「え、なんで笑う?」って顔をしている。
「か、かわいい、まじで。准平……あぁもう。好きにさせられっぱなしなのくやしい」
あとからもじわじわきて、きゅんとさせられるからまいる。
准平はいつも「かわいい」と言われると反応に困って黙るけど、そんなとこもかわいく思えた。
「うん、分かった。がんばる。俺の夢、最終目標は、『いつか都内に自分の店を構える』にする」
准平は満足げに頷いて、ふたりの間に盆を置いた。
盆の上には准平が好きな定番商品、求肥に黒糖ときな粉をまぶした『黄な粉もち』と薄茶が並んでいる。お月見するなら『黄な粉もち』がいいと、深尋がリクエストしておいたのだ。
黒文字で取って、口に運んだ。黒蜜ときな粉の上品な甘みを味わって、お抹茶を飲むとほっこりする。
「ちょっと寒いかもしれないけど、十三夜もふたりでお月見しようか」
「『片月見で縁起が悪い』から?」
「深尋と並んで、お月見したいから」
わお。このかわいいやつめ。
「キスしたいのはやまやまだけどなぁ、いかんせん唇にきな粉がめっちゃついてる」
十五夜の優しい月明かりの下で、十三夜の逢瀬の約束。
粉ふきいも状態の口元を見て、お互いに肩を揺らして笑った。